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残りの時間をどう使うか

 前々というか、さかのぼると就職が決まったときから、定年まで勤めることはないだろう、と思っていた。
 まず、社会的に適応できないのは、高校大学でよくわかっていたことで、今の勤め先でなく本当に9時始業の職場とかだったら、途中でとっくにドロップアウトしていたに違いない。それに、派閥政治のあるところだと(いや、今だってあるのかもしれないが)、そんなのにはとうてい対応できない。
 まぁ、よくもまぁ20年近くも勤められたものだと思う。

 が、そうばかりも言ってられなくなった。
 まず、半年近く、うつで長期休暇を取った。会社の制度で、休職にはいたらなかったが、それに近いところまでは行っていた。しかも、職場復帰も、半ば見切りだった。そのせいか、未だ完治にはいたっていない。当然、いわゆる昇進などにも響いている。まぁ、本人はどうでもいいと思っているのだが。
 それに、この先の展望を見ても、方向性は見えていないのだが、どのみちあまりいい方にいけるとは思われない。おまけに、勤め先の本業が、いわゆる構造不況に陥ってしまった。よその社に比べるとまだいい方なのだが、それにしてもあんまり明るい話ではない。
 その影響があるのか、あるいはここしばらく、世間を騒がせるようなことがあったせいか、なんというか、社内がとても窮屈に思えてきたのだ。まぁ、中、ではすまない規模の会社ではあるので、いろいろ小うるさいことがあって当然なのだが、その小うるささが増してきているように思える。

 そうこうしているうちに、この春もまた忙しくなり、鬱が悪化してきた。毎年のように、春先、社内の移動とアサインの変更がある度に、悪化する傾向があるのだが、今年は特に前任業務が終わらないのと新しい業務が乗っかってきたのとが重なって、けっこうな状況であった。

 いい加減、限界かもしれないな。
 何度かそう思った。

 幸い、周りの助けもあって何とか山を越えつつあるのだが、これまで書いてきたこととかをつらつらと考えたときに、1つの結論めいたものが出てきた。

 これはもう、定年までは持たないな。

 とてもあと20年弱、シニア雇用まで入れたら20年以上、ここまででなくても、働き続けられないだろうな。

 それと。
 嫌な話だが、父も、祖父も、50くらいで癌でなくなっている。子供の頃から、自分もそのくらいまでしか生きられないだろうという、何となくだがそんな思いがあった。幸い、今では癌も治る病気だし、父や祖父と違って喫煙の習慣もない。おまけに鬱のおかげで、酒ともしばらく無縁の生活を続けている。もっとも、食う方はどうにもならず、高血糖高血圧糖尿という見事なまでのメタボな状態ではある。

 そう考えたとき、50は大げさでも、60過ぎまで働いて、それから老後をゆっくり楽しむというのは、あまり現実味がないんである。

 ところが、振り返ってみると。
 結婚をしていないので身軽ではあるのだが、住宅ローンはばっちり、しかもなぜか2軒分のしかかっている。蓄えも、2軒目の頭金であらかた吐き出して、万一の時の貯金程度しか残っていない。 
 年金も就職してからしか払っていないので、25年は働かないといけない。
 手に職といっても、結局ものになるほどのものは手にしていない雑食型の仕事の仕方をしてきたので、会社を辞めて、職を渡り歩くという選択肢もまずない。

 というわけで。
 いかにこれから残された人生をうまく軟着陸して、楽しく過ごしていくか。
 そう。人生を楽しめずに終わってしまったら、もったいないじゃないか。(「この苦しみから逃れられないのなら、この苦しみを快楽に変えていくしかない」という花と蛇的な楽しみ方は却下だ)

 このブログのこれからは、このテーマについて、自分でいろいろ考えたり調べてみたりしたことを書きためていきたいと思う。
 いやー、しかし大変だなぁ(汗)
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